電験日記ビリビリ

電気や電力や電験の事を書いてます

奄美の歴史をざっくりと(南西諸島)

f:id:yurimaeponpon:20180621212203p:plainアウ🦉です。

 

歴史好きなので毎年大河は見てます。

史実とは当然違うところも多いですがそこは

ドラマですので。

 

 

奄美編始まりましたね。

非常に綺麗なビジュアルで行ってみたくなりました。

 

さて江戸期のある奄美は

「名目上琉球王国の一部」である「薩摩藩直轄地」

でありました。

 

まず屋久島〜与那国までの南西諸島は4つのエリアに

分けられます。

①鹿児島にほど近い屋久島エリア

②奄美大島を中心とした奄美エリア

③沖縄本島を中心とした沖縄エリア

④石垣、西表を中心とした先島エリア

 

この中では②と③が距離的には近いですが

異なる歴史を歩んで行きました。

 

この両者が国として統一されるのは

意外と遅く16世紀の事で沖縄本島の一勢力が

奄美を征服しました。

そして沖縄本島の各勢力も一つにまとまり

奄美は琉球王国の支配下に入りました。

 

この時点で

①島津勢力下

②〜④琉球王国

となります。

 

江戸時代17世紀初頭。

幕府の許可を得て薩摩藩は琉球王国を征服します。

こうして琉球王国は日本そして薩摩藩の属国と

なりました。

一方琉球王国は元々大陸の明の属国でありました。

明は後に清に変わりますが

ここに琉球の日清両属という特殊な形が出来上がりました。

 

近年「鎖国」という言葉が否定されてきてはいますが

江戸期の貿易は対馬長崎松前薩摩を窓口としてしか

行われていませんでした。

 

薩摩藩は琉球を経由して清国との貿易をしてい

ました。

そこで大きな利益を生みました。

 

しかし薩摩藩8代藩主島津斉豪は蘭癖の浪費で、

多大な借金を作りました。

その孫10代斉興と家臣調所広郷は借金返済のために

奄美に黒糖地獄とも呼ばれる、サトウキビのみを

作らせる政策をとりました。

他にも250カ年計画で借金を返済することにしたり

財政を立て直しました。

 

しかし11代斉彬の代で西洋化のためにまた金を

沢山使ってしまっていた…

という場面が西郷どんの時代背景です。

 

そして明治維新後日本が近代国家となる過程で

国域を決める必要がありました。

 

日清両属である琉球王国の帰属について奄美も問題に

なりました。

 

清側の意見:

奄美→日本 沖縄→琉球王国 先島→清国

3分割案

 

日本側の意見

沖縄→日本 先島→清国

※奄美は元から日本に属してると考える

2分割案

 

日清戦争の前段階では

清国では朝貢国の維持のために先島に琉球王国を復活

させる事も考えていた+日本政府も先島の清国への

割譲は容認する構えも見せていた

 

しかし日清戦争が起きると状況は一変し

西南諸島はおろか台湾までが日本領となりました。

 

廃藩置県における西南諸島は紆余曲折の末

結局

先島沖縄→沖縄県

奄美→鹿児島県

という江戸期の実態を反映したものとなりました。

こうして明確に沖縄以南とは区別されました。

 

その数十年後日本敗戦により

北海道本州四国九州以外は主にアメリカの統治する

ところとなりました。

 

奄美も例外でなく北部琉球として分離されました。

 

しかし奄美の米軍占領下における待遇はわるく

反発した奄美島民のハンガーストライキ

などにより

米軍は統治を諦め

1953年。沖縄よりも約20年早く

日本へ復帰する事になりました。

 

このように日本であって日本であらず、琉球であって琉球であらず…

複雑な立ち位置にある事が多かった奄美

苦しい時代も少なくなった奄美。

そのような一面も描かれてるいましたね。さて次は沖永良部島。どのように描かれるでしょうか。<emoji:feel_down>