奄美の歴史をざっくりと(南西諸島)
アウ🦉です。
歴史好きなので毎年大河は見てます。
史実とは当然違うところも多いですがそこは
ドラマですので。
奄美編始まりましたね。
非常に綺麗なビジュアルで行ってみたくなりました。
さて江戸期のある奄美は
「名目上琉球王国の一部」である「薩摩藩直轄地」
でありました。
まず屋久島〜与那国までの南西諸島は4つのエリアに
分けられます。
①鹿児島にほど近い屋久島エリア
②奄美大島を中心とした奄美エリア
③沖縄本島を中心とした沖縄エリア
④石垣、西表を中心とした先島エリア
この中では②と③が距離的には近いですが
異なる歴史を歩んで行きました。
この両者が国として統一されるのは
意外と遅く16世紀の事で沖縄本島の一勢力が
奄美を征服しました。
そして沖縄本島の各勢力も一つにまとまり
奄美は琉球王国の支配下に入りました。
この時点で
①島津勢力下
②〜④琉球王国
となります。
江戸時代17世紀初頭。
幕府の許可を得て薩摩藩は琉球王国を征服します。
こうして琉球王国は日本そして薩摩藩の属国と
なりました。
一方琉球王国は元々大陸の明の属国でありました。
明は後に清に変わりますが
ここに琉球の日清両属という特殊な形が出来上がりました。
近年「鎖国」という言葉が否定されてきてはいますが
江戸期の貿易は対馬長崎松前薩摩を窓口としてしか
行われていませんでした。
薩摩藩は琉球を経由して清国との貿易をしてい
ました。
そこで大きな利益を生みました。
しかし薩摩藩8代藩主島津斉豪は蘭癖の浪費で、
多大な借金を作りました。
その孫10代斉興と家臣調所広郷は借金返済のために
奄美に黒糖地獄とも呼ばれる、サトウキビのみを
作らせる政策をとりました。
他にも250カ年計画で借金を返済することにしたり
財政を立て直しました。
しかし11代斉彬の代で西洋化のためにまた金を
沢山使ってしまっていた…
という場面が西郷どんの時代背景です。
そして明治維新後日本が近代国家となる過程で
国域を決める必要がありました。
日清両属である琉球王国の帰属について奄美も問題に
なりました。
清側の意見:
奄美→日本 沖縄→琉球王国 先島→清国
3分割案
日本側の意見
沖縄→日本 先島→清国
※奄美は元から日本に属してると考える
2分割案
日清戦争の前段階では
清国では朝貢国の維持のために先島に琉球王国を復活
させる事も考えていた+日本政府も先島の清国への
割譲は容認する構えも見せていた
しかし日清戦争が起きると状況は一変し
西南諸島はおろか台湾までが日本領となりました。
廃藩置県における西南諸島は紆余曲折の末
結局
先島沖縄→沖縄県
奄美→鹿児島県
という江戸期の実態を反映したものとなりました。
こうして明確に沖縄以南とは区別されました。
その数十年後日本敗戦により
北海道本州四国九州以外は主にアメリカの統治する
ところとなりました。
奄美も例外でなく北部琉球として分離されました。
しかし奄美の米軍占領下における待遇はわるく
反発した奄美島民のハンガーストライキ
などにより
米軍は統治を諦め
1953年。沖縄よりも約20年早く
日本へ復帰する事になりました。
このように日本であって日本であらず、琉球であって琉球であらず…
複雑な立ち位置にある事が多かった奄美
苦しい時代も少なくなった奄美。
そのような一面も描かれてるいましたね。さて次は沖永良部島。どのように描かれるでしょうか。<emoji:feel_down>